yu yoshimura

2020年5月30日3 分

高校3年生へ

こんにちは!

夏の甲子園、中止になってしまいましたね。

高校野球経験者であり,高校野球ファンでもあるので本当に悲しいです。

日本一をつかむ一校以外は必ずどこかで負けるのにも関わらず、その一校になるほんの少しの可能性のために高校生活、もっと言えば野球人生のすべてをかけるということ。

全ての試合が一発勝負ということ。

思い出しただけでもドキドキします。

その最後の機会がなくなってしまった高校3年生に、今自分が声をかけるとしたらどんな言葉がいいのか、考えながら生活していたらいろいろな発見があったので書いていきます。

まずは高校時代のことを思い出してみました。

たしかに試合の思い出も出てくるのですが、それ以上に仲間と過ごした日々の思い出の方がたくさん出てきます。

同期が図書室でピタゴラスイッチを見ていて先輩にガチで怒られたこと、練習後にクラブハウスで卓球を3時間ぐらいやったこと、「1にこだわる」といってタイヤ押しを111本やったこと、などなど。

日常の思い出は本当に書ききれません。

皆さんはどうでしょうか。

同窓会などで盛り上がるのはそういった「日常の思い出話」なのではないかなと思います。

ただ、このことに高校の時点では気づいていません。

もっと言えば、高校の時点ではそれが面白いことどころか、つらいことだったり悩みだったりするのです。

これは発見でした。

次に現在です。

前のブログで雑談について書きましたが、仲間とオンラインで雑談をしていると、自然と練習があったころの話になっていたりします。

割と最近のつらかったみたいな話も、笑い話になって話されています。

そこで、「これって引退して何年後かにも同じような話題で話してそうだな」ということに気付きました。

要するに、高校時代を思い出しているのと同じ感覚で、最近までの練習を思い出しているということです。

自粛期間のせいで「なくなって初めて気づく」の疑似体験をしているのだと思います。

ハッとしました。

色々なものを奪っていった自粛期間ですが、大切なものに気づかされました。

「仲間」です。

完全にルフィ状態でした。

このことに今の時点で気づくことができたのは、とんでもない収穫だと思います。

この「愛」はチームを作っていくうえでも大切にしていきます。

最近、「愛される人は愛する人でもある」という言葉に出会いました。

この期間に気づかされた仲間の大切さは、まさにこの言葉に詰まっているように感じます。

自分には一緒に現状を乗り越えようと本気で話し合える今の仲間や、ブログにいちゃもんをつけつつもちゃんと読んでくれている高校時代の仲間がいます。

高校3年生に自分が言葉をかけるとしたらを考えていましたが、自分の答えは「何があっても仲間はいなくならない。思う存分話せ。」です。

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